タンゴを象徴する年、1940年の5月22日ブエノスアイレスのマタデーロスで生まれる。7歳からバンドネオンを弾き、14歳でプロの演奏家としての活動を始める。18歳でその後CBSほかに録音を残すこととなる最初のタンゴ・グループ“ロス・クアトロ・パラ・エル・タンゴ”を結成。

1965〜1968年:
歌手アルヘンティーノ・レデスマの伴奏をつとめるホルヘ・ドラゴーネ楽団に在籍。

1971〜1974年:
歌手ウーゴ・デルカリルの伴奏をつとめる。

1976年:
アニバル・トロイロ楽団デビュー当時の模様を描いたエンリケ・カレーラス監督の映画『ロス・チコス・クレセン』に出演。
1980年:
自楽団での活動のかたわら、その後20年にわたり伴奏をつとめることとなる歌手エンリケ・ドゥマスとともに多数の国内外ツアーを果たす。

1987年:
タンゴ・スポットの老舗《カサブランカ》に出演するかたわら、シルビオ・ソルダンのラジオ番組の音楽監督をつとめる。
1992年:
ベバ・ビダーとともにスペインの「セビリア万博」に出演。

1993年:
フアン・カルロス・グラネリ、マリア・ホセ・メンターナとともにカリブ諸国で公演。

1997年:
マリア・グラーニャ、エンリケ・ドゥマス、ウーゴ・マルセルほかタンゴ界を代表する歌手らとともにブエノスアイレス州サン・ペドロでの第11回フェスティバル・デ・ラ・イデンティダーに出演。

2001年:
バラデーロ音楽祭に出演。

そのほか、フロレアル・ルイス、アルベルト・マリーノ、エドムンド・リベーロ、ミゲル・モンテーロ、ロベルト・ゴジェネチェ、ビルヒニア・ルーケ、ロベルト・ルフィーノ、ホルヘ・バルデス、マリア・デ・ラ・フエンテ、ネストル・ファビアン、ウーゴ・マルセル、マリア・グラーニャ、ウーゴ・デル・カリル(息子)などのタンゴ界を代表する歌手の伴奏をつとめる。また、TV番組『ラ・ノーチェ・コン・アミーゴス』で音楽監督をつとめるなどその活動は多岐にわたる。



1935年5月8日、アルゼンチン、ラプラタに生まれる。1949年にデキシーランド・ジャズの歌手としてデビュー、1955年アニバル・トロイロ楽団独立直後のカルロス・フィガリ楽団の専属歌手に抜擢され、アルゼンチン国内をはじめ、中南米・ヨーロッパ公演を果たす。9年間の活動の後、 カルロス・フィガリ楽団を退団、『タンゴの街角』『タンゴの夜』『ブエノスアイレスよ、おまえを歌う』『タンゴの大スターたち』など多数のTV番組、『ベルグラーノ』、『エル・ムンド』などのラジオ番組に出演、ソリストとして活躍する。また、フランシスコ・カナロ音楽指揮ミュージカル『タンゴランディア』、マリアーノ・モーレス音楽指揮ミュージカル『絹とキャラコのブエノスアイレス』、映画『ある夜の旅』などに出演、俳優としての才覚も発揮する。1987年、ホルヘ・ドラゴーネ楽団とともに初来日。1995年、コスキン祭出演、1カ月にわたるコロンビア各都市で公演、コルドバ市にて芸術賞、ラプラタ市にてオメロ・マンシ賞を受賞。1996年、フリアン・プラサ楽団とともに再来日を果たす。
1985〜1987年『ア・プーロ・タンゴ』、1980〜1989、1991〜1994年『カフェ・コンサート』ほか多数のTV番組出演を果たす。タンゴ・スポットの老舗《カサブランカ》《ビエホ・アルマセン》《ミケランジェロ》《サボール・ア・タンゴ》に出演。また、ロベルト・パンセラ指揮『マリアーノ・モーレスを歌う』、エドゥアルド・ロビーラ指揮『歌うのはわたしのパパ』、セステート・マジョール指揮『ボヘミアンの魂』、オスバルド・レケーナ指揮『デ・ロンペ・イ・ラヘ』、アルベルト・ディパウロ指揮『ブエノスアイレスの喫茶店』『カンタータ・ア・ブエノスアイレス』など数多くのレコード録音を行う。