マリアーノ・モーレス、エルネスト・バッファ、オラシオ・サルガンとタンゴ界の巨匠たちが相次いで亡くなってしまった、2016年。アルゼンチンタンゴを初めて世界へと広げていった立役者たちが静かにその舞台を降り、タンゴ界は深い悲しみに包まれた。しかしひとしきり泣いたところで、志を受け継ぐ者たちは立ち上がり、改めて舞台へと上がる。今度は自らがその匠の技で魅せるために。
オラシオ・ロモは、わずか9歳でバンドネオンを始め、14歳でプロとしてステージに上がってからおよそ30年にわたり第一線で活躍し続けている。特に亡きホセ・リベルテーラの遺品であるバンドネオンを譲り受け、ルイス・スタソの後を引き継ぐ形で、現在まで指揮・第1バンドネオンを任されているセステート・マジョールはアルゼンチンで大きな活躍をしている。そんなオラシオ・ロモが選んだ理想のミュージシャン5名は多くがセステート・マジョールの面々と重なっており、その実力は太鼓判付きだ。
さらに歌手は、2016年アルゼンチン最高の音楽賞「ガルデル賞」にもノミネートされたイネス・クエージョ。その美しい容姿から発せられる歌声は、世界の舞台で観客を魅了してきた。艶やかな歌声が、演奏に華をそえる。
オラシオ・ロモ・セステートHoracio Romo Sexteto
オラシオ・ロモ
(第一バンドネオン・指揮)Horacio Romo
ブエノスアイレス生まれ。幼少の頃からフリオ・パネに師事し、プロの音楽家としての研鑽を積む。コロールタンゴ、エスクエラ・デ・タンゴなど、一流のタンゴ楽団のバンドネオン奏者として経験を重ね、また、ロベルト・ゴジェネチェ、ラウル・ラビエ、ギジェルモ・フェルナンデス、マリア・グラーニャ、ビルヒニア・ルーケなどのアルゼンチンを代表する有名なタンゴ歌手たちの伴奏も務める。2000年には米国ロサンゼルス・シンフォニー楽団主催のコンサートに招待され、バンドネオンとアストル・ピアソラの楽曲を披露し高い評価を受ける。
ブエノスアイレスのタンゴ界では、若い頃からテクニック、センスともに大きな評価を受けてきたが、今までにフェルナンド・スアレス・パス五重奏団、アストル・ピアソラ財団五重奏団、クリスティアン・サラテ六重奏団、ニコラス・レデスマ四重奏団、セレクシオン・ナシオナル・デ・タンゴなど、多数の有名楽団も掛け持って演奏してきた。また、世界的なタンゴ・ブームの生みの親となった「タンゴ・アルヘンティーノ」のセステート・マジョールのリーダー、ホセ・リベルテーラ亡き後、セステート・マジョールの第1バンドネオン奏者/指揮を要請され、現在はセステート・マジョールの活動も並行して行ってきている。
昨年のタンゴダンス選手権決勝は、マクリ市長が大統領に立候補するためにマクリ市長最後の選手権として注目されていたが、いつも大きな話題となる最終局面でのアトラクションにこのオラシオ・ロモ・セステートが登場し「この2年以内に著名な日本の民音タンゴ・シリーズにも自身のセステートで登場することが決まっている」と紹介され、大喝采を浴びた。技術的にも人間的にも今や最高の段階にある偉大なバンドネオン奏者である。また、下記のセステートのメンバーは、どのメンバーも全員がソリストとして活躍する大物音楽家ばかりで、まさにアルゼンチン・タンゴ界を代表するセステートといえる。
ウンベルト・リドルフィ
(第一バイオリン)Humberto Ridolfi
父親はコロン劇場フィルハーモニー管弦楽団のコントラバス奏者で、巨匠マルコーニの楽団のベース奏者<キンテート・アストル・ピアソラのベース奏者として名を馳せたアンヘル・リドルフィ。幼少の頃から父に楽理や音楽そのものを学び、1983年から2000年にかけてヨーロッパとアメリカに滞在、スイスの音楽院で最初は学生として、後に有名教授のアシスタントとして活躍、その後アメリカのセントルイス音楽院やインディアナ音楽院、最後はジュネーブの音楽院で教えていたが、2001年にブエノスアイレスに戻る。父と同じコロン劇場フィルハーモニー管弦楽団に所属する他、ソリストとして数々のタンゴ楽団に呼ばれて演奏するようになった。ブエノスアイレスだけでなくアルゼンチン中のクラシックの世界、タンゴ界に呼ばれて演奏していった。有名どころではネストル・マルコーニ、ビクトル・ラバジェンと一緒に演奏することが多かったが、「フォーエバー・タンゴ」の音楽監督でもあったリサンドロ・アドロベルと知り合い、フォーエバー・タンゴでもソリスタとして呼ばれ、日本、カナダ、アメリカ合衆国、メキシコ、ヨーロッパと巡演した。ニューヨークで行われたタンゴ・ミュージカル「ブエノスアイレスのマリア」にも参加している。2006年から2009年まで、タンゴ・ハウス「マデーロ・タンゴ」の音楽監督を務め、ラウル・ラビエ、バレリア・リンチ、フリア・センコ等と共演している。
海外での活動も活発で、2010年にパリで開かれたブエノスアイレス・タンゴ・フェスティバルに参加した他、2010年には「ベルギー・オ・タンゴ」というグループを結成して、フランス、イタリア、ベルギーも巡演している。2011年にはアルゼンチン政府が結成した特別セステートでパリ、ポルト、フィレンツェ、ウィーンと巡演。タンゴ界はもちろん、クラシックの世界でもその実力を世界的に認められている巨匠である。
マヌエル・キローガ
(第二バイオリン)Manuel Quiroga
物心つき始めた幼少の頃から鈴木メソッドでバイオリンを習っていた。2001年にアルゼンチンのマヌエル・デ・ファリャ音楽院に入学し、2004年に教育省が主催したコンクールで優勝して世に出ることになった。2005年、有名なナタリア・シシモニーナ教授に師事、その後は主にクラシックの世界で賞を総なめしてきた。タンゴの世界では数年前からエル・アランケの第一バイオリンに招待された他、オルケスタ・ティピカ・ピチューコ、ラスカシエロス・オルケスタで活躍してきている。タンゴ・ハウスは「エスキーナ・デ・カルロス・ガルデル」や「タンゴ・ポルテーニョ」で活躍中。
ルシアーノ・シアレータ
(第二バンドネオン)Luciano Sciarretta
現在37才という中堅だが、テクニックは誰もが認めるバンドネオン奏者。2008年頃から名のあるプロジェクトに突然現れてきた逸材。2008年に「ゴタン・プロジェクト」でフランス、ルクセンブルゴ、モナコ、スペイン、ポルトガル、オーストリア、デンマーク、イギリス、イタリア、スイス、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ポーランド、ロシア、アメリカ合衆国、カナダと長期のツアーに随行。2011年から「セステート・マジョール」に加入。2011年にはコロンビアのメデジン、ブラジルのリオデジャネイロ、ベネズエラのカラカスで開かれたフェスティバルに出演し、2012、2013年とコルドバ市のフェスティバルに出演した後、ドイツ、オランダ、スイス、リトアニアのツアーにも参加した。2015年にはアゼルバイジャンにも足を伸ばした。常にロモと同行。2015年にはやはりロモと一緒に「フォーエバー・タンゴ」(ロモが音楽監督)に参加し、チリ、メキシコ、アメリカ合衆国、コスタリカ公演をこなしてきた。オラシオ・ロモの大事なバンドネオン・パートナー。
フルビオ・ヒラウド
(ピアノ)Fulvio Giraudo
1977年生まれの39才だが、若いうちに才能を開花させ、実にいろいろな楽団で活躍してきているピアニスト。最初はアルゼンチンのクラシック界でピアノを学んでいたが、1994年に「新世代のタンゴ・グループ」出現と大きな話題になったファビオ・ハーゲルのセステート・スールに誘われてタンゴ界デビュー。セステート・スールのメンバーで日本の民音公演も経験している。セステート・スールには2000年まで在籍。その後はいくつものグループを掛け持ちする人気ピアニストになった。エル・デスキーテ(1999-2006)、タンゴ界最高の歌手マリア・グラーニャのグループ(2003-2009)、タンゴ・チノ(2002)、タンゴ・ブエノスアイレス、ローヤル・カリビアン・インターナショナル(2005年から)、セステート・マジョール(2005年から)、ラスカシエロ(2008年から)等々。1998年からセステート・マジョールがガルデル賞を受けた4枚すべてのアルバムに参加している。無類のタンゴ好きで、ブエノスアイレスのタンゴ・ハウスのほとんどで現在も演奏している。womex等国際的なフェスティバルに一番多く出演しているタンゴ人と言われている。
ダニエル・ファラスカ
(コントラバス)Daniel Falasca
1957年サンタフェ州生まれ。マヌエル・デ・ファリャ音楽院のハムレット・グレコ、リカルド・プラナス両教授の下コントラバスを学ぶ。クラシックの世界では23才の頃から世界的な規模で活躍した。1986年、コンクールに優勝して、ブエノスアイレス・フィルハーモニーに加入した。しかし、この頃には既にタンゴの世界でも完全に頭角を表し、アントニオ・アグリ、オスバルド・ベリンジェリ、レオポルド・フェデリコ、パブロ・マイネッティ等巨匠たちに認められて、それぞれの楽団に参加してきていた。2007年、世界的バレエ・ダンサー、フリオ・ボッカが自国の音楽タンゴを踊った時には世界中が歓迎したが、その世界ツアーにも選ばれて参加した。また、アルゼンチン・フォルクローレ界史上最高の女性歌手と謳われたメルセデス・ソーサの最後のアルバムは、この国それぞれの楽器の最高の演奏者が選ばれたが、コントラバスではこのダニエル・ファラスカが選出された。オラシオ・ロモが監督になった「セステート・マジョール」には最初から参加している。世界的なポップス歌手、例えばジョアン・マヌエル・セラーがアルゼンチンに来る時には必ず選ばれる名コントラバス奏者である。
イネス・クエージョInes Cuello
1989年、ブエノスアイレス、カルロス・テハドール生まれの27才。タンゴの女性歌手としては珍しく、正式に声楽を学んできた後にタンゴ歌手のキャリアをはじめた。この若さで現在までスペイン、中国 (ほぼ全土)、ブラジル(3回にわたった全国ツアー)、ペルー、ポルトガル、ギリシャ、ドイツと世界を股に活躍してきた。ファビオ・ハーゲルのショー「ブエノスアイレスの一夜」のオーディションでブラジルに渡ったのをきっかけに、「タンゴ・デザイアー」「タンゴ・パッション」など世界的な一流タンゴショーの女性ソロ歌手として活躍してきている。タンゴだけではなく、フォルクローレも上手い。若手の中では抜群に評価の高い歌手であり、本年のガルデル賞にノミネートされた。